河本準一の本名はハ・ジュンイル?次長課長のコンビ名の由来について

今回はお笑いコンビ・次長課長 河本準一さんの本名についてみていきましょう。

河本準一さんの本名はハ・ジュンイルという情報や次長課長のコンビ名の由来についても調べてみました。

 

河本準一の本名はハ・ジュンイル?

河本準一の本名
河本準一(こうもとじゅんいち)
在日説:河準一(ハ・ジュンイル)

河本準一さんとおいえば、「お前に食わせるタンメンはねぇ!」のギャグでおなじみのお笑い芸人ですね。

相方の井上聡さんとともに「次長課長」として活躍し、大ブレイク後は多くのレギュラー番組を抱える売れっ子となりました。

私生活でもアイドルグループの元メンバー・重元直美さんと結婚し、お子さんにも恵まれ公私ともに順風満帆でした。

しかし、2012年に母親の生活保護不正受給がスクープされ謝罪会見を開いてからは世間から批判され、しばらく干され気味ですよね。

この頃から河本準一さんの在日韓国人説がネット上噂されるようになってしまいます。

「北朝鮮生まれ」と書かれたページがあったようですが、「愛知県名古屋市緑区有松町生まれ」で間違いないそうです。

また本名は「河準一(ハ・ジュンイル)」とまで言われていますが、本当でしょうか?

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河本準一は在日韓国人?

河本準一さんの在日韓国人説は、やはり母親の生活保護不正受給問題から発展したようです。

母親や親族3人が生活保護を不正受給していたり、かねてから韓国愛好家で韓国語が話せるといった点が大きいようです。

実際は河本準一さんは愛知県名古屋市緑区有松町出身ですし、このあたりは在日韓国人が多い地域というわけでもありません。

幼い頃両親が離婚し、母親の実家である岡山県津山市に移住しています。

姉1人と幼い河本準一さんをかかえ、母親がスナックで働きながら生活していました。

その後母親が再婚することになるのですが、義父に暴力を振るわれ、小学校6年生のときに岡山市に移住したようです。

この生い立ちからも、在日韓国人というルーツはなさそうですよね。

やはり一番は、母親の生活保護不正受給問題が鍵となっているようです。

河本準一さんは生活保護に関して、「タダで貰えるもんは貰っとけ」と言っていたことを週刊誌に暴かれてしまい、かなり印象が悪くなってしまいました。

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河本準一さんの年収は当時3,000万円くらいだったので、母親と親族3人の面倒くらいは見られるはずですよね。

しかし河本準一さんは酒席で後輩や友人に対し、「役所から“息子が力を貸して”といわれるが、絶対聞いたらいけない。タダでもらえるんなら、もらっとけ」と話していたとか。

生活保護は当然「親族による援助も受けられない者が受給できる」ので、完全に不正受給”となってしまいますね。

女性セブンは実名報道をしませんでしたが、吉本と河本準一さんから「名前を出したら訴える!」と脅されたからだそうです。

河本準一さんが謝罪会見で語ったところによると、売れない芸人時代に母親が病気になってしまい、仕事ができなくなったからだそうです。

売れっ子になったので役所から「援助できないか」といわれたわけですが、生活保護の打ち切りはしなかったようです。

河本準一さんは後悔している様子でしたが、少々遅かったようですね。

 

河本準一は韓国語を話せる?

河本準一さんは、以前『イラっとくる韓国語講座』に出演し、冠番組としていました。

韓国に向かい、現地の人とふれあいながら韓国語を学ぶ番組でした。

このことから河本準一さんは韓国語が話せるので、在日韓国人といわれるようになったようです。

しかし、番組の中では河本準一さん自身も韓国語を学ぶ、というスタイルで、決してネイティブなわけではありません。

河本準一さんが韓国好きになった理由は不明ですが、生い立ちからも韓国に縁はないと思います。

もちろん自身も在日韓国人・朝鮮人だとカミングアウトしておらず、本名も「河本準一」で間違いなさそうです。

もともと芸能界は在日韓国人が多いですし、自ら韓国好きを公言するのはリスクがあるのかもしれませんね。

干されたと思われている河本準一さんですが、ゴールデンタイムの出演はないものの深夜帯にはちょくちょく出演しています。

 

次長課長のコンビ名の由来

河本準一さんは高校卒業前に吉本総合芸能学院(NSC)の存在を知ります。

そこで、当時仲良くしていた井上聡さん、山下正人さんとともに入所することにします。

芸人として売れたら、苦労してきた母親と親戚が一緒に住めるような大きな家を建てる、と奮闘したそうです。

1994年にトリオ「次長課長社長」を結成しましたが、わずか1年程で社長・山下正人さんが脱退したため、井上聡さんとコンビとなります。

そこで名前を「次長課長」に変更したそうです。

最初はなかなか売れず、何度も岡山に帰ることも考えたそうです。

しかし相方の井上聡さんがいることでその考えを踏みとどまらせました。

自分がこの世界に誘ったので、井上聡さんの人生も背負っているような感覚だったのでしょう。

その後、努力の末ブレイクしているのですごいですよね!

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