沢村一樹の本名や芸名の由来は?自身の本名にコンプレックス?”

今回は俳優・沢村一樹(さわむら いっき)さんの本名についてみていきましょう。

沢村一樹さんの本名および芸名の由来や、自身の本名にコンプレックスをもっている件についても調べてみました。

 

沢村一樹の本名は?

沢村一樹(さわむらいっき)の本名
野村耕蔵(のむらこうぞう)

俳優としてのみならず、かざらない姿でバラエティ番組などでも人気の沢村一樹さん。

スラっとした体型に凛々しい顔立ちがとてもかっこいいですし、「沢村一樹」という名前もぴったりですよね。

しかし、実はこの「沢村一樹」は芸名なんです。

沢村一樹さんは三人の息子がおりますが、そのうちの1人は野村康太さんという方でテレビでも共演しています。

沢村一樹さんの息子がバスケットボールをしているという情報があり、東京都中体連バスケットボール部に「野村康太」という名があるそうです。

このことから、「野村」が本名であることは間違いないですね。

さらに調べていくと、本名は「野村耕蔵」というようです。

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沢村一樹の本名はなぜバレた?

沢村一樹さんが芸名であるということは、知らない人のほうが多いと思います。

「沢村一樹」と「野村耕蔵」ではかなりイメージが違いますよね。

「沢村一樹」はしゅっとしていて現代的な名前に感じますが、野村耕蔵は古風ですよね。

沢村一樹さんは自ら芸名であることを暴露していますし、友人の田中美奈子さんがバラエティ番組で本名を暴露しています。

沢村一樹さんに対し、「ねっ! こうぞう!」と呼びかけ、周りがびっくりしている中、沢村一樹さん自ら「野村耕蔵』が本名なんです」と明かしたことがありました。

 

沢村一樹の芸名の由来

沢村一樹さんはこの名前が古臭いから何とかしようと思い、芸名を考えたみたいです。

整ったルックスに似つかわしくない本名ですもんね!

「徹子の部屋」に出演した際は「本当は野村耕蔵です」と明かし、所属事務所から「耕蔵はなんとかならないか」「1週間以内で芸名を決めないと『野村まんたろう』で決まります」と言われたとか。

さすがにまんたろうは・・・と思って、自分で画数を調べ、現在の「沢村一樹」に決定したそうです。

芸名については沢村一樹さん自身気に入っているそうですが、「まんたろうも悪くなかった」と考えることもあるのだとか。

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「北村一輝くんとよく間違えられる」と話していたので、「まんたろう」なら誰ともかぶらないと思ったのでしょう(笑)

そして沢村一輝さんといえば、堂々と下ネタを話すことでも知られていますよね。

そんなことから、俳優でありながらも「エ〇男爵」という愛称で呼ばれています(笑)

しかし女性が引くような下ネタではなく、美術作品のような美しさを求めているようで、女性や筋肉が綺麗についた脚などが好だとか。

まあとらえられ方によっては変態と思われてしまいますよね(笑)

休日はミロのヴィーナスのような美しい女体を作成することが趣味だそうです。

ドラマ『働きマン』で共演した菅野美穂さんは「他の人ならセクハラで訴えられてしまうが、沢村一輝さんだから許される」と言っていました。

そんなことからニックネームも“サワヤカエ〇”に昇格?しているそうです(笑)

小学生の頃にはすでに下ネタに目覚めていたそうなので、女性に許される下ネタレベルをわきまえているのでしょう。

 

見沢村一樹は自身の本名にコンプレックス?

沢村一樹さんは月9ドラマ『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』の記者会見に出席した際、自身の本名について語っていました。

沢村一樹さんは「僕の本名は野村耕蔵(のむらこうぞう)。この名をつられるのを未然に防げたらよかった」と暴露していました。

さらには共演している関ジャニ∞の横山裕さんを指し、「小学校の頃は恥ずかしい思いをした。“横山裕”が良かった」と笑っていました。

しかし横山裕さんも芸名で、本名は横山きみたかという読みづらい名前だそうです。

本名は違っても芸名でかなり有名になったのですから、結果オーライですよね!

 

沢村一樹の芸能界デビューのきっかけ

沢村一樹さんは20歳の時に上京し、当初ファッションモデルとして活躍していました。

実家は裕福ではなく、4人家族で6畳と4畳半の二間、風呂なしという古いアパートに住んでいました。

子供の頃は非常に内向的な性格で、一人で遊ぶことが多かったそうです。

出身小学校は鹿児島市立中郡小学で、沢村一樹さんが12歳の時に父親が家を出て行ってしまいます。

父親が作った3000万ほどの多額の借金を返済するため、母が朝から晩まで働いて沢村一樹さんたちを育てたそうです。

その後小学生になると母親に芸能界にはいるようすすめられたとか

この頃から芸能界を志しつつも高校時代はバレーボール部にはいり、卒業後は地元でアルバイト生活をしていました。

上京後は俳優を目指しながらファッションモデルをしており、スタイルの良さを生かして25歳で雑誌『MEN’S CLUB』の専属モデルになります。

その後、1996年に『松田のドラマ』で俳優デビューすると、『新・星の金貨』『『ごくせん』など多くのドラマに出演してブレイクします。

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