今回は俳優の田中哲司(たなか てつし)さんの本名についてみていきましょう。
また、田中哲司さんの実家やかっこいい画像をまとめました。
目次
田中哲司の本名は田中哲司なの?
田中哲司 | 本名 | 田中哲司(たなか てつし) |
舞台を中心にキャリアを積んでいき、現在は名脇役としてドラマや映画で活躍している田中哲司さん。
2014年に女優の仲間由紀恵さんと結婚したことでも話題になりました。
2015年には、「第50回紀伊國屋演劇賞個人賞」を受賞しており、名実ともに演技派俳優としての地位を確立しています。
気になる本名ですが、「田中哲司」のままだそうです。
特に芸名をつけず、本名で活動していたのですね!
田中哲司の実家の住所(場所)は三重県鈴鹿市で造園業を経営していた!
田中哲司さんの実家は、三重県鈴鹿市にあります。
どうやら実家は「造園業」を営んでいるみたいです。
田中哲司さんは3人兄弟で、お兄さん(9歳年上)とお姉さんが1人ずついます。
実家の造園業は現在9個上のお兄さんが後を継いでいるそうです。
また、造園業以外にも飲食業や建築も手掛けているようで、ご実家はかなりお金持ちであることが予想されます。
田中哲司さんは出身中学が海星中学で、出身高校は海星高校です。
海星高校時代はサッカー部に1週間在籍したあと、ヨット部に在籍していたらしいです。
しかし、ほぼ幽霊部員だったと語っています。
沖まで乗ってって、帆を下ろしてのんびりする。
クジラが迷い込んだとかたまにあって、見に行ったりとか。で、レースに出た覚えがない(笑)。
あと、南高かどこかの女の人がいて、一緒にやってるのが楽しかった。なんかゆるーい感じでやってますね。
なんだか田中哲司さんは我が道を行く、自由な雰囲気の方なのですね(笑)
実家の会社の名前は「イケダアクト」株式会社!
実家の造園業は、田中哲司さんの父が『イケダアクト』という会社の代表を務めている中で営んでいるようです。
現在は田中哲司さんの兄さんが代表取締役としてあとを継いでいるので、父親はリタイアしているみたいです。
その実家の影響を受けたのか、田中哲司の趣味はガーデニング。
自宅でも多くの植物を育てて、植物の知識も豊富なため、共演者から草木の世話について相談を受けることもあるらしいです。
このガーデニングもテレビ「はなまるカフェ」出演時に映像が出てたんですが、かなり広そうで力が入ったものでした。
確か、暇だったら一日に3回くらい虫がついてないか全部チェックしてまわるとかの熱の入り具合でしたよ。
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実家のビジネスに影響をうけて、田中哲司さんもガーデニングを本格的にやっているようです。
田中哲司は今も昔も色気があってかっこいい!若い頃や現在の画像をチェック!
個性派俳優として活躍している田中哲司さんですが、若い頃も今と変わらず色気があってかっこいいですね。
身長が高いため、スーツを着こなしている姿もかなり男前です。
そんな田中哲司さんは、若い頃より髪の毛が増えている?増毛しているのでは?といった噂があります。
おでこが元々広い方なので失礼ですがどちらかというとボリュームが減った気がします。
20年以上前の画像なのでボリュームが減るのは仕方ないですが、減っているということは増毛はしていないということだと思います。
増毛しているという声があるのは髪の毛が伸びているときに、前髪の方にもってきていることがあったので、その時に増えたと思ったのではないかと。
以上のことから、増毛はしていなそうですね。
田中哲司が俳優になったきっかけは?
田中哲司さんは高校卒業後、特に何もやりたいことがありませんでしたが、東京に行きたかったことと、ヘビメタが好きだったことから、とりあえずバンドをやるために音響関係の専門学校に進学します。
田中さんは専門学校に通う傍ら、クレープ屋さんでアルバイトをしていたのですが、アルバイト先で大学生が楽しそうにしているのを見て大学へ行きたくなり、そこから1年間受験勉強され、日本大学芸術学部演劇学科に入られたのでした。
ヘビメタ少年だった田中さんがなぜ演劇学科に入られたのかというと、ちょうどその頃小林薫さんがJRAのCMに出演されており、それがとてもかっこよく思えたことから、こんな人を目指そう!と思われたのだそうです(^^)
役者としてはかなり軽い気持ちで大学へ入った田中哲司さんでしたが、演劇の授業で先生に褒められたことから、本格的に役者を目指そうと決意します。
大学卒業後は仲間と劇団を旗揚げし、蜷川カンパニー、ZAZOUS THEATER、串田和美、岩松了らがプロデュースした舞台に出演します。
そのようにして着実に役者としてのキャリアを積んでいきましたが、もっと有名になるために映画やテレビドラマに出たいと思うようになります。
しかし、なかなか事務所に入れず途方に暮れていたころ、青山真治監督の映画「Helpless(ヘルプレス)」に出演していた光石研さんの演技に衝撃を受けます。
光石研さんの所属事務所「鈍牛倶楽部」に入るべく知り合いに頼み、「鈍牛倶楽部」の社長に自分の出演した舞台を観に来てもらいました。
このように紆余曲折ありながらも、今の地位を確立していったのでした。