今回はカルト芸人・鳥肌実(とりはだ みのる)さんの本名についてみていきましょう。
また、鳥肌実さんのキャラクター設定上のプロフィールを紹介したいと思います。
目次
鳥肌実の本名は田中実
鳥肌実の本名 |
田中実(たなか みのる) |
ピン芸人の鳥肌実さんは2000年代にビジュアル芸人・カルト芸人といわれて注目を集めていました。
1994年にピン芸人としてデビューし、漫談・独特な一人芝居がじわじわと人気を集めました。
その後、日比谷野外音楽堂で「廃人演説」を行ったり、「鳥肌実 全国時局講演会」を開催、また俳優として映画やドラマに出演するなど幅広く活躍しています。
放送禁止用語を連発したため強制終了されたりと、メディアの反応をかえりみない過激な言動で有名となりました。
謎が多い鳥肌実さんの本名は田中実(たなか みのる)さんといいます。
「実」は本名だったのですね!
「田中」の名字の全国順位&人数
「田中」という名字は全国順位4位、人数にするとおよそ1,340,000人だそうです。
たしかにとてもよく聞く名字ですよね!
「田中」の由来
「田中」という名字の由来は以下の通りです。
①蘇我氏族の田中臣、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)。
②桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)。
③中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。
④古代氏族であり、美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる橘氏。
⑤大和国高市郡発祥は田中直の末裔。
⑥近江国高島郡発祥の族は佐々木氏流愛知族。
⑦甲斐国山梨郡発祥の族は清和源氏安田氏族。
⑧伊豆国田方郡発祥の族は桓武平氏北条氏族。
⑨上野国新田郡発祥の族は清和源氏。
⑩ほか赤松氏族、海部姓田中氏、宇都宮氏族、肝付氏族、河野氏族。
とても歴史があるのでたくさんの由来があるのですね!
キャラクター設定上のプロフィール
鳥肌実さんは独特のキャラクター設定があることでも知られています。
詳しい生年月日は明かされていませんが、御年54歳という年齢だそうで、意外にもお歳をめしていました。
毎年誕生祭をおこなっているそうで、多くのファンが集まるのだとか。
学歴は本当かはわかりませんが大阪大学大学院卒業と語っています。
本当だとすると頭がいいんでしょうね。
公然わいせつと銃刀法違反により前科2班のモッズ系猛禽類、パン工場(サンドイッチ班・班長、ピクルス担当)に勤務していて、会社のアメリカンフットボール部ではクォーターバックを務めていました。
スポンサーリンク休憩時間にはアームウェイの勧誘を欠かさず、創価学会員と月に一度激しい殴り合いのケンカをしていた。
引用:career-find
ずいぶんと激しいキャラクター設定ですね(笑)
また、自己破産して選挙権がないと言っていますがこれも「ネタ」で(そもそも法律で自己破産を理由に選挙権は剥奪されない。)、帰国子女でハーバード大学経済学部卒業をしているというのも嘘です(笑)
少年時代はレベッカに憧れバンド結成?
鳥肌実さんは少年時代、ロックバンド「レベッカ」の影響を受けてドラムとヴォーカルでバンドを結成しました。
そこで鳥肌実さんはヴォーカルを担当したそうです(あくまで設定ですよ笑)。
「レベッカ」の「フレンズ」という曲をコピーしたそうですがまったく音符が読めず、リズムも音程も取れなかったことから、練習の最中にドラムの人に「お前とはやってられないんだよ」と殴られ、音楽を断念されたそうです。
(ただ、どうしてもミュージシャンの夢が捨てきれず、1999年には、「鳥肌黙示録」でCDデビューされています。)
あの風貌からすると、本当にミュージシャンをしていてもおかしくないですよね!
「オウム地下鉄サリン事件」がきっかけ?
その後鳥肌実さんはサラリーマンになりましたが、30歳の時に脱サラし、ピン芸人として活動をスタートします。
当時は一人芝居に近いお笑いスタイルで、数々のお笑いライブに出場していました。
1995年には、「オウム地下鉄サリン事件」でオウムの南青山総本部の前に集結した報道陣に対し、カメラの目の前でお前らマスコミの腐れインケツウジ虫どもが!お願いします、私を何とかテレビに出してください。
と言い、その場で「日の丸玉砕ダンス」を踊られます。
ただ、当然のごとく鳥肌さんは機動隊に取り押さえられ、一切オンエアされることはなかったそうで、鳥肌さんはその当時を振り返り、その時に何とも言えない世の中に対するストレスを感じ、やっぱりこれは訴えていかなければならないな、と決意した訳です。
そんな騒動がありながらも鳥肌実さんは正直訴えたいものが何もなかったそうで、せめてメッセージのない演説家として街頭に立ちたかったとか。
そこで、国粋主義を全面に押し出し、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」で踊るというお笑いスタイルが確立されていきました。
そのスタイルが原宿の街で非常に注目を浴びたそうです。
右翼的ヴィジュアル&言動でカリスマ的な人気に
その後鳥肌実さんはしばらく「卒倒ライブ」という一人芝居をされていました。
北は樺太から南は尖閣諸島までといった、日本全土168箇所で演説活動を行っていました。
ちなみに、放送禁止用語を連発する芸風だったので、地上波のテレビ番組にはほとんど出演していません。
この独特のキャラクターがうけて、今も根強いファンがいるようですね。