豊川悦司の本名は?学生時代はブサイクでモテなかった?

今回は俳優・豊川悦司(とよかわ えつし)の本名についてみていきましょう。

豊川悦司さんの学生時代はブサイクでモテなかったという情報がありますが、本当でしょうか?

豊川悦司の本名は?

豊川悦司の本名
豊川悦司(とよかわ えつし)

俳優としてさまざまな作品に出演している豊川悦司さん。

「愛していると言ってくれ」「青い鳥」「弁護士のくず」「八つ墓村」「日本沈没」「20世紀少年」などなど、挙げきれないくらい有名な作品に出演していますよね。

また、脚本や監督としても活動しており、あまりバラエティには出演しないのでミステリアスなイメージがありますね。

そんな豊川悦司さんの本名が気になるところですが、「豊川悦司」で変わらないようです。

「悦司」というかっこいい名前が似合っていますよね!

 

「豊川」の名字の全国順位&人数

「豊川」という名字は全国2,111位で、人数にするとおよそ7,100人です。

めずらしい名字ですもんね!

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「豊川」の由来

「豊川」は福島県、宮城県、岩手県、青森県といった太平洋側の有名な氏です。

最近では青森県に多くみられる名字のようです。

 

豊川悦司の生い立ち、ブサイクでモテなかった

年齢を重ねてもかっこいいオーラをはなっている豊川悦司さん。

実は在日朝鮮人では?という噂がありますが本当でしょうか。

見た目的には純日本人で、あまり韓国人の雰囲気はありませんよね。

しかし、この噂は本当で、豊川悦司さん自身が在日韓国人三世であることをインタビューで隠すことなく話しています。

豊川悦司さんは自分が成人するまで在日韓国人三世ということを知らずに育ち、ある日旅行に行く際韓国人のパスポートを渡されて初めて在日韓国人三世であることを知ったのだとか。

豊川悦司さんの実家はパチンコ屋を経営しており、もともとパチンコ屋は在日が多いので噂は昔からあったそうです。

ほかにも豊川悦司さんの親戚の葬儀に参列した際に韓国式のお葬式だったとか。

豊川悦司さんはバラエティ番組にあまり出演していないですし、自身の生い立ちについてもそれほど明かしたことはないですよね。

 

父親の職業については大阪府西成区の靴職人と、パチンコ店経営という2つの説があるそうです。

母親の職業は不明で、3つ年上の姉がいるようですが、一般人なので詳細は不明です。

豊川悦司さんは家族や近所に住む叔母が映画好きだったことから、自身も影響を受け、幼い頃から父親によく映画館に連れて行ってもらったそうです。

小学校2年生で映画雑誌「スクリーン」を愛読し、大阪に住んでいたこともあり吉本新喜劇も大好きだったとか。

 

豊川悦司の中学・高校・大学時代

出典:https://love-all.jp/

豊川悦司さんの出身小学校は公立小学校だと言われています。

中学校時代の豊川悦司さんの写真を見てみるとだいぶふっくらとしていますが、顔のバランスは整っていますし、痩せればイケメンになる顔立ちですよね

小学校のときに父親の仕事の関係で千葉県松戸市に引っ越し、その後大阪府八尾市に戻ってきました。

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そして八尾市の小学校を卒業し、八尾市立志紀中学校に進学しています。

豊川悦司さんは中学校時代バスケットボール部に所属し、始めた当初はぽっちゃり体型でしたが、大阪府立清水谷高等学校に進学する頃には175cmにまで身長が伸びます。

しかしまだこのときはイケメンに進化しておらず、ポッチャリしていたようです

この高校は有名政治家も輩出している進学校で、偏差値は63と高いです。

豊川悦司さんは文武両道で、バスケットボール部1年生の頃にインターハイに出場しています。

その後関西学院大学文学部に進学し、バスケットボールを辞めてしまいますが、そこからさらに身長が急激に伸びます。

 

そして現在の186cmにまで伸びたそうで、このころにはすっかり細身のイケメンとなりました。

中学校時代から現在まで、かなりの進化を遂げていますよね。

当時の同級生からは「あいつが”トヨエツ”と同一人物とは思えない」といわれたそうです(笑)

中学時代はそんな容姿のため女子と接点がなく、勉強はできたので中3では学級委員を務めていました。

当時の女生徒達からはまるで相手にされなかった豊川悦司さんですが、目はつり上がっていて韓国人の特徴が少しみえますよね。

 

豊川悦司のデビューのきっかけ

映画好きだった豊川悦司さんは大学時代から演劇部に所属しており、演劇集団「円」の研究生となります。

そして、渡辺えり子さんが主催する「劇団3○○(さんじゅうまる)」に入団します。

その後俳優として活動しはじめた1992年に武田真治さんと共演したドラマ『NIGHT HEAD』で人気に火が付きます。

以後、20代女性を中心にブレイクし、1995年には「愛していると言ってくれ」で演じた耳が不自由な青年画家が当たり役となり、最高視聴率28.1%を記録する大ヒットとなりました。

1997年には第20回日本アカデミー賞授賞式において優秀主演男優賞発表の際、ひとりだけスーツを着用せず、長袖シャツ姿で登場して話題になりました。

まったく女性にモテなかった中学校時代の豊川悦司さんですが、その後ぐんぐん身長が伸び痩せたことにより、顔もシャープになりました。

 

現在はどちらかというと渋い俳優ですが、若い頃にはイケメン俳優としてかなり人気があったようです。

身長も高くスラーっとしていて、ミステリアスな雰囲気をかもしだしていますよね。

さまざまな役を演じ分けることができ、やさぐれた役もあれば真面目な役もこなせます。

この雰囲気は、若いころから人気があるのも納得ですよね。

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