こちらではモデル兼タレントとして活躍中の吉川ひなのさんの本名に関する情報についてご紹介しています。
目次
吉川ひなのの本名は高田愛!
吉川ひなの | 本名 | 高田愛(たかだあい) |
タレントの吉川ひなのさんの『ひなの』という由来は、タヒチ島のお花の名前らしく、花言葉で「かわいい」という意味があるそうです。
芸名はひなのさんの父親から名付けてもらったと言われています。
1991年(平成3年)、東京・銀座にてウィンドウショッピング中にスカウトされて芸能界入り。
女優としては1997年(平成9年)公開の映画、『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』がデビュー作となり、『日本アカデミー賞 新人賞』を受賞し、後には舞台女優としても演じている。
2001年(平成13年)には、櫻田宗久との音楽ユニット「☆Spica☆」を結成、歌手として音楽アルバムを発売した。
モデルとしては2004年(平成16年)、「パリ・コレクション」に出演した。
吉川ひなのさんが芸能界デビューしたきっかけは銀座でのスカウト。
こんなに可愛らしい女性がいたら関係者の方も声をかけずにいられませんよね♪
デビュー後は女優、モデル、歌手など様々なジャンルのお仕事に挑戦し、非常にマルチな才能を発揮してきました!
1999年2月にビジュアル系バンド「SHAZNA」のボーカル・IZAMと結婚し会見を開いた。
しかし、同年の9月にFAXで離婚を発表し、「ママゴト婚」と揶揄された。
吉川ひなのさんといえば昔、IZAMさんと結婚していたことでお馴染みですよね!
破局したのは新婚旅行中にIZAMさんのすっぴんを見て幻滅してしまったから…というのが一番有力な原因とのこと^^;
当時は子供っぽくハチャメチャな天然娘として売り出していたひなのさんであれば、十分ありえそうな話ですね(笑)
色々とバッシングを受けてきたひなのさんですが、現在は5歳年上の旦那「保科爵介(ほしなたかすけ)」さんと再婚し、ハワイで幸せな生活を送っている模様。
ナチュラルかつオーガニックなライフスタイルを吉川ひなのインスタグラムや吉川ひなのブログを通じて情報発信するというイマドキのビジネススタイルを確立しています♪
吉川ひなのの生い立ちが気になる!実家は金持ちでハワイで暮らしてたってマジ?
東京都東久留米市生まれの吉川ひなのさん。
一部の情報によるとハワイに住めるほど実家が金持ちだったと言われていますが、家庭環境が複雑で貧乏な生活を送っていたという声も多く上がっています。
ひなのさんは13歳という若さで芸能界で仕事をしながら稼いでいたので、家族のために学業よりも仕事を優先していたのかもしれませんね。
両親は日本人だけど片親がハーフ!
ファンや関係者からは長年「ハーフではないか?」と言われていましたが、ひなのさんは2015年に自分自身がハーフではないことを明かします。
具体的にはひなのさんの片親がハーフのようで、全く外国の血が流れていないというわけではないようです。
母親が死亡したという噂はデマ!
吉川ひなのさんについて調べていると母親が死んだ…という情報が流れています。
しかしながら信ぴょう性のある情報はどこにもあらず。
恐らく、誰かがデマ情報を流していたり、もしくは他のタレントさんと混同している方がいるのかもしれません。
吉川ひなのはハーフではなく、アメリカと日本のクォーターだった!
更に祖父の方まで遡ると、祖父がフランスとネイティブアメリカンのハーフだったとのこと。
そして祖父の国籍はアメリカだったためひなのさん自身はアメリカと日本人のクォーターみたいです。
今のひなのさんはどちらかというとフィリピン人っぽい雰囲気がありますが、子供の頃の方がアメリカ&フランス人っぽい顔立ちをしているな〜という印象を受けました!
兄である高田一也も2009年5月にはブログでインディアン系アメリカ、フランス、日本の血が混じっていることを明かしています。
そしてその事で子供の頃は意地悪をされていたとも。
そのような背景からか吉川ひなのは2016年にはずっと家族という言葉が嫌いであったものの子供を産んでその考えが変わったことを明かしています。
兄の高田一也さんもフランスやアメリカの血が一部流れていますが、ひなのさんよりも純日本人に近い顔立ちをしていらっしゃいますね^^
クォーターの事実を隠していたのは事務所に口止めされていたから?
発売記念イベントで触れた「言うなと言われたこと」これは書籍後半にあるタイトル「私のおじいちゃん」で間違いないだろう。
そこには彼女の祖父が“フレンチとネイティブアメリカンのハーフ”であること、それを事務所から「言っちゃダメだよ」と口止めされてきたことが書かれてあった。
「今やっと言うことができて、本当の自分を取り戻せたような気持ち」と心も晴れたようである。
吉川ひなのさんは全盛期の頃、自分自身がクォーターということを秘密にしてくれと事務所側から口止めされていたんだとか。
初のフォトエッセイ本『ずっと途中』の出版をきっかけにその事実について告白したところ、本人的にはスッキリしたようですが、現在は当たり前のようにハーフやクォーターのタレントが多い時代なので残念ながらあまり話題にならなかったそうです。