今回は、お笑いコンビ博多華丸・大吉 博多大吉(はかた だいきち)さんの本名についてみていきましょう。
博多華丸・大吉の結成秘話や、コンビ名の由来ついても調べてみました!
博多大吉の本名は?
博多大吉(はかた だいきち)の本名 |
吉岡廣憲(よしおか ひろのり) |
実力派漫才と、軽妙なトーク力でいまやテレビに引っ張りだこの博多大吉さん。
数多くのレギュラー番組をかかえ、雑誌『日経エンタテインメント!』の『タレントパワーランキング2018』で第2位に輝くほどの人気芸人ですね。
そんな博多大吉さんは、本名が「博多大吉」と思われることが多いようです。
しかし、実際は芸名で、本名は吉岡廣憲(よしおか ひろのり)といいます。
たしかに兄弟ではないので、おなじ「博多」という名字ではないですよね。
プロになる前は本名で活動
博多大吉さんと華丸さんは芸歴が長く、劇場での漫才にこだわり続けてきたため、ブレイクは比較的遅めでした。
大吉さんは当時本名で活躍していたようです。
M-1など芸歴に制限があるコンテストでは、博多大吉さんたちの芸を見ることはありませんでした。
しかし2014年の「THE MANZAI」に出場した際は、見事グランプリを獲得しています。
博多大吉さんは漫才の実力ももちろんのこと、そのトークが人気ですよね。
特に「アメトーーク」で自虐ネタを披露して高く評価されました。
まだ知名度が低かったときに出演した「中学の時イケてなかった芸人」コーナーがウケ、ブレイクしました。
博多大吉の本名に対するネットの反応
博多大吉さんが出演中の情報番組「あさイチ」にて、本名の「吉岡廣憲(ひろのり)」が紹介されて話題になりました。
「あさイチ」の前の時間帯に放送されている朝ドラ「まんぷく」では、エンディングに視聴者からの「まんぷくごはん」写真が紹介されるが、この日の「あさイチ」ではそれにそっくりな写真が登場。
萬平と福子に似せた、大吉と近江友里恵アナがラーメンを食べている写真で、「渋谷区 吉岡廣憲さん、近江友里恵さん」と紹介された。
また、ここで紹介された博多大吉の本名に、視聴者からは「大吉先生の本名は吉岡廣憲なのか」「画数が多いな」「カチカチにカタイ」「新しい形の朝ドラ受け」「大吉先生、名前わりと難しいんだ…」といった反応が上がっている。
引用:biglobeニュース
たしかに「大吉」というイメージしかないので、固い名前にみなさんびっくりしたようです!
博多華丸・大吉の結成秘話
博多華丸・大吉の2人は大学入学まで接点は無く、福岡大学の落語研究会に所属し知り合いました。
大学入学時、お笑いサークルに所属したかった2人ですが、大学には楽語研究会しかなかったそうです。
勧誘情報には「ゆるい上下関係」とあったが実際にはガチガチの縦社会で、サークルの不満を言い合うことで仲良くなった。
スポンサーリンク地元のタウン誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから二人にコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがある。
最初の面接の時に出会った社長の雰囲気から、二人の本能が絶対に怪しいプロダクションに違いないと訴えかけて来たために、「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです。」と、懇願して断ったという。
このプロダクションを断った建前上、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたという。
落語研究会で知り合ったという意外な誕生秘話があるのですね!
そして2人は2005年4月に東京本社へ移籍します。
「ずっと信じて」福岡で活動していたものの、13年目に紳助と初めて話す機会があり、「『何で君ら福岡でやってんねん』って聞かれて、よくぞ聞いてくれました!ですよ。
(紳助さんの言葉を信じてやってきたと)やっと言えると思って、言おうと思った瞬間に『アホちゃうか?東京やで。何してんねん』って言われた」ことも決断を後押ししたという。
当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた。
福岡時代に周りからその才能を認められ、東京進出を果たし、見事大ブレイクとなったのですね!
博多華丸・大吉のコンビ名の由来
2人は当初「華丸・大吉」としてデビューします。
初代吉本福岡事務所長が「芸人は本名ではなく芸名で」というポリシーをもっていて、命名されたそうです。
その後、「芸名はひらがなで7文字が売れる」「さらにおめでたい名前をつけよう」となり、「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名します。
そして2004年4月、屋号を博多に変更し、現在の芸名へ改名したのでした。
改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。
『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれたためである。
その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の「博多」の屋号である。
またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に二人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされた。
なお、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも報告し、改名を快く認めてもらったという。
改名してからブレイクしたわけですから、姓名判断は大当たりだったというわけですね!